.gif)
★日本チームの過去と戦績★
日本チームは、1992年にアメリカ、フロリダ州で開催された9thWSMCからの参戦である。この前年、日本で全国大会が開催され、そこから選抜された選手が出場したが、いかんせん、初めての参加であり、また情報不足から十分な機体を製作することができず、また、エンジンもエステス社製のものを使用するなど、勝てる体制ではなかったが、その状況のなかでも、独自に情報収集をし、オールカーボン製の機体を製作してきた選手や、独自のアイデアのもとに、機体を製作してきた選手もいた。
しかし、この第一回目の参加によって、情報収集がおこなわれ、機体デザインや材質、また、世界選手権の雰囲気を十分に味わうことができたのは、幸いであった。
二度目の参加は、二年後の10th WSMCで、これはポーランドで開催された。このとき、はじめてチェコのデルタ社製エンジンを調達することができたが、エンジンサイズの違いや重量の違いから、選手は現地入りした後にバランス調整やマウントの加工などの作業をおこなう事となる。また、専用イグナイターを調達できず、エステス製イグナイターを使用することとなったが、エンジンノズル径の違いから、これも加工を余儀なくされた。
機体そのものは、かなり世界のレベルに近づいていたものの、やはり理論と実際は異なり、また、パラシュートやストリーマーなど、それらの材料や工作技術に差があり、またも苦戦を強いられた。
11th WSMCは、1996年にスロベニアで開催された。この時点では、飛行性能そのものは、かなり世界に近づいていたが、逆に、S3A(パラシュート滞空競技)では飛びすぎる傾向にあり、機体をロスト(紛失)してしまい、決勝ラウンドであるフライオフに出場できない選手がいた。
しかし、その中でも幸運をつかんだのは、鈴木隆選手で、タイミングよくサーマルに乗り、また、タイミングよくサーマルから離脱することで、機体紛失もなくフライオフに残る。ここでまた、実に幸運なことに、サーマルに乗ったまま、風下に流された機体が、そのまま、逆風に乗り、発射地点上空を通過、本来風上側である方向に飛行を続けた。結果として1時間11分10秒を記録して選手権獲得(優勝)と、世界記録を樹立しました。
さて、上記のように「飛びすぎる」機体への対策として、デサマライザーを装着している機体が多く、これは、綿糸や線香などのゆっくりと燃える材料を用いて発射時に着火し、ある時間を経過(MAXタイム経過後)するとパラシュートのシュラウドラインを数本焼き切り、急速に地上に回収する装置です。
このデサマライザーも、進化しており、1998年にルーマニアで開催された12th WSMCのときに見たものでは、電子タイマーを内蔵したものがありました。
12th WSMCでは、S3Aでは飛びすぎることを懸念して、小さめのパラシュートを装着し、そのためにMAXタイムにわずかにおよばず、フライオフに残れなかった選手や、飛びすぎて機体をロストしたため、急遽予備機で3ラウンド目にのぞみ、予備機のためか性能が芳しくなく、結局、フライオフに残れなかった選手がいました。
デサマライザーを装着していない場合、飛びすぎてしまい結果として機体の紛失や、機体紛失を避けるために小さいパラシュートにしてタイムが伸びなかった、などにつながります。幸運が重なれば問題はありませんが、そうそう、あることではありません。今後は、この点を早急に研究する必要があります。
メインページに戻る